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★“アメリカ生れのセルロイド”ではない

DSCN0347Blue-EyedDoll [PAULINE].JPG
BLUE-EYED
DOLL
 
Statuette portrays “PAULINE”(ポーリンちゃんの小さな像)


DSCN0348Blue-EyedDoll.JPG
Nameplate
(名盤)

108日、第13回横浜ツーデーマーチの20kmコースも終盤に差し掛かった所で、山下公園傍にある横浜人形の家博物館前ポーリン橋のゲート前にちょこんと座っているBLUE-EYED DOLL “ポーリン”ちゃんの小さな彫刻が目に留まった。

「青い眼をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド♪♪♪ ・・・・」つい、くちずさんでしまった。

後で調べて分かったが、

野口雨情作詞・本居長世作曲の誰もが知っているあの歌「青い眼の人形」とは関係ない様であり、セルロイド製でもない。

歌は1921年に作られ、1923年にレコードになっている。
一方「青い目の人形」がアメリカから贈られたのは1927年*1の事である。

日米親善・平和の為に贈られた12,739体のうち、現存する人形は2010年現在、323体で国内の主として小学校に保存されており、そのうちの一つこのPAULINEちゃんは横浜市立西前小学校で保存されている。  

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*1

日露戦争後に日本が満州権益を得ると、中国進出をうかがっていた米国とその権益を巡り、両国間の政治的緊張が高まっていた。

そんな中、1927年(昭和2年)3月に文化的にその緊張を和らげようと、米国人宣教師のシドニー・ギューリック博士が提唱して行われた親善活動で、米国から日本郵船の天洋丸で日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られた。

そして、その返礼として、渋沢栄一を中心に答礼人形と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本から米国に贈られた。


日本に贈られた「青い目の人形」だが、太平洋戦争中は敵国にかかわるものとしてその多くが焼却処分された。しかし、処分を忍びなく思った人々が人形を隠し、戦後に学校等で発見された。

現存する人形は2010年現在、323[1]にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。

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